ビジュアルスノウになる前となった後の心境の変化を語る。

ビジュアルスノウになる前となった後…

どのような心境の変化が実際に
生まれたのかをお話していきます。

今回お話するのは
あくまでも”私の場合は”であって、
皆さん全てが同じ考え方になるわけではありません。

考え方は人それぞれですし、
人間はロボットではない以上、
全員が同じ考えをすることはあり得ないので、
その点は理解した上でお読み下さい。

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ビジュアルスノウになって変化したこと

2018年に実際にビジュアルスノウと呼ばれる症状に
なって、変化した心境を
お話していきます。

症状自体はこれを書いている2022年の時点でも
続いており、完全に治すことは難しそうですが
(それでも、色々と試してはいますが)
あの辛かった時期をひとまず乗り越えて
とりあえず普通に生活することができている、というのは
大きな進歩だと思いますし、
ここまで回復できてよかった、と自分でも思っています。
(最初は本当に精神的にも酷い落ち込みでしたからね…)

では、ビジュアルスノウになって変化した心境を
色々とお話していきたいと思います。

「普通に見えている」ことの有難さを実感

それまで私は、”目が見えなくなる”ということを
頭の中で具体的にイメージしたことは
あまりありませんでした。

もちろん、世間では目が見えない方も
たくさんいることは当然、元々分かってはいましたが
”自分がそうなるかもしれない”ということを
実感として感じたことはそれまではありませんでした。

目が見える、ということが当たり前になりすぎていて
そのありがたみをハッキリと実感することが
出来ていなかった…とでも言えば良いもかもしれません。

しかし、ビジュアルスノウになって初めて
”このまま目が見えなくなったらどうなってしまうのか”
ということを強く感じましたし
”見えなくなるかもしれない恐怖”というものを
初めて身近に感じました。

結局、ビジュアルスノウで失明することは
まずない話で、実際に私も発症してから既に4年半が
経過していますが、視力は若干落ちたとは言え、
しっかりと現在でも目は見えている状態です。

が、当時は本当に不安で
目をつぶったりしながら、こういう生活になったら…
ということを具体的にイメージしたりと
かなり良くも悪くも、強く印象に残る経験を
することになりました。

当時はとても不安でした。
が、今となっては”こうして見えていることの有難さ”も
ハッキリと実感できるようになりましたし、
そういう部分だけは良い学びを得ることができた…
とは思っています。

自分がそういうことにならなければ
”普通に見えていることがありがたいこと”などとは、
思わなかったでしょうからね…

人間、なかなか自分が”それ”を体験してみないと
想像はできても”実際に自分のこととして、深く噛みしめる”
ようなことはなかなかしませんからね…。

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色々な目の病気を知るきっかけにも

ビジュアルスノウになる前までは、
目の病気について、そんなに感心はなく、
せいぜい、飛蚊症とか、そういうものを
知っている程度でした。

ですが、ビジュアルスノウになってからは
やはり、自分自身でも色々調べてみて、
本当に色々な病気について知ることができました。

もちろん、それはあくまでも素人の知識である、
ということはしっかり自分自身でも忘れないように、
認識しておくことは大事だと思いますし、
これからも目に異変があれば、
自己診断せず、まずは眼科に足を運ぶことは
大切だと思っているので、これからもそのように
行動していきますが、
それでも”使い方を間違えたりしなければ”
色々な知識を蓄えておくことは良いことだと思いますし、
今後の人生でも、どこかで役に立つかもしれないので、
せっかくきっかけがあって色々知ることができたわけですから
大事にしていきたいと思いますね。

目の健康について考えるようになった

ビジュアルスノウになる前は
それほど目の健康を意識することはありませんでした。

仕事でパソコンを使う時間が多いため、
どうしても目を酷使することも多かったのですが
それでも”自分の目はずっと見えているのが当たり前”…と
思っていた…というか、そういう意識も特になく、
ある意味で「自分は大丈夫」という油断は
あったのだと思います。

しかし、ビジュアルスノウになってみて、↑のような
「見えなくなるのではないか」という不安を始めて感じたり
「見えていることがどんなに素晴らしいことか」ということを
改めて理解することができたりした結果、
目の健康については、本当によく考えるようになりました。

疲れ目対策の目薬もそうですし、
ホットアイマスクなどを試したり、
出来る限り目の休憩を確保するようにしたり、
瞬きを意識したり、
睡眠時間を増やしたり…
ビジュアルスノウになることがなければ、恐らくどれ一つとして
やっていなかったと思うので、
そういった点を考えると
”目の健康”だけではなく、その他の部分についても
健康に対する意識というものは高まったように思います。

もちろん、ビジュアルスノウにならなければ
ならない方が良かったですが
こうやって、なったことによってプラスもあったかな…と
思うと、気持ち的に少し救われるような…
そんな感じもします(笑)

眼鏡を経験して、色々知ることができた

ビジュアルスノウになったことによって
視力が若干低下してしまい、
眼鏡を掛けるようになりました。

それまで、私の人生に眼鏡は縁のないものでしたし、
ビジュアルスノウにならなければ
この先も、もしかしたらなかったかもしれません。

実際に自分が眼鏡を作ってかける、という
立場になってみて、
やはり、色々知ることができましたし、
”眼鏡をかける人の気持ち”も、
実感することで、本当によく分かるようになりました。

別に偏見を持っていたとかそういうことでは
ありませんが、
やっぱり”分かったつもり”になっていても
”想像することは”できても、
自分が実際にその立場になってみないと
なかなか分からないものです。

眼鏡に関しても、やっぱり私自身が自分で
掛けるようになってみて
”分かっているつもりだったけど、何も分かってなかった”ということを
強く実感できました。

何でも、経験することは大事なことですね。

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治したい気持ちは同じ。でも経験は増えた

もちろん、ビジュアルスノウになってから
数年が経過した今でも、
ビジュアルスノウを治したい気持ちには
変わりはありません。

他の記事で何度か触れた通り、
今はすっかりその症状にも慣れて
「飛蚊症は慣れる」と言われるように
「ビジュアルスノウも慣れ」ました。

普通に生活している分には
”その症状が出ていても気にならない”ことが
ほとんどです。

…が、それでも気にすればやはり
今も変わらずビジュアルスノウの症状が
あることは確かなので、
これが消えればどんなに楽か、と思うことは
ありますし、
方法があるのであれば、ぜひ消したいところです。

まぁ、それでも「色々な経験が出来た」ことと
「色々学ぶことができた」ということ、
「目に対する考え方が(恐らく)良い方向に変わった」ことは、
ビジュアルスノウになったことで得たものなので、
それはそれで、前向きに考えて、
治したい気持ちは変わらないけれど、
得るものもあった、というのが今の私の気持ちですね。

まとめ

”ビジュアルスノウ”は慣れるまでが本当に辛かったです。

私のあの状態でも、やはり慣れることが出来たので、
恐らく、多くの人は次第に慣れていくのではないかと思います。

ただ、慣れるまでは本当にきつかったですし、
もうあの時に戻りたくない、というのは
正直なところですね…

最初の1年前後を乗り越えること。
それが出来れば、大分楽になるはずです。

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